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みなさん、この石像を、日進町界隈のどこかで見かけたことはありませんか?
私の場合、この石像の前を何度となく通り、「何の石像なんだろう?」と
疑問に思いながらも、あまり気にも留めていなかったのですが
今回ちょっと調べてみましたので、簡単に、ご紹介させていただきます |
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日進駅の北側のT字路の角にある庚申塔
・・・元禄16年(1703年)建立・・・
日進駅のホームからも良く見えますので、みなさん、きっと見覚えはあるのではないかと思います
★場所はこちら
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日進駅の東側の踏切から、200m程北に行った十字路の左手角にある道標をかねた庚申塔・・・宝暦4年(1754年)建立・・・
この二つの庚申塔は、直線で300m程の近距離にあります
★場所はこちら
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ABOUT 「庚申信仰」&「庚申塔」 |

これらの石像は、江戸時代に大流行した「庚申信仰」という民間信仰によって造られたもので、「庚申塔」と呼ばれています
●「庚申信仰」とは?
中国の晋の時代、道教の思想から端を発し、奈良時代の日本に伝わり、10世紀ごろには盛んになった信仰で、この教えが広まっていく中で、仏教や庶民の信仰等の日本固有の信仰と結びついて発展し、江戸時代には全国の農村などで大流行したといわれています。
●「庚申塔」のいわれは・・・
人間の体内には三尸(さんし)という虫がいて、旧暦では60日毎に巡ってくる庚申(かのえさる)の日の夜に、人間が眠っている間に体を抜け出し、その人の罪過を天帝に告げてしまうと言われていました。
罪状によっては寿命が縮まるとまで言われていて、「寿命が縮まっては大変!」と、この日は身を慎み、虫が体から抜け出せないようにと徹夜して過ごすという習俗があったそうです。

そのため、年に6回ほど巡ってくる庚申の日に、人々が寄り合って徹夜をすることを、「庚申待(まち)」と言われていました。 そして3年間、すなわち18回連続してそれを行うと、所願が成就するといわれ、
その記念の造塔供養として造られたものが「庚申塔」です。
その後、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりに変わっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもあったということです。
盛んだった庚申信仰も時代を経るにつれ、次第に忘れられていきました。都市開発や宅地の造成に伴って場所を移動させられたり、行方不明になった庚申塔もありますが、親睦会という形で人々の集まりが続いている地域もあるということです。
日進町界隈では、今もこのような親睦会が、行われているのでしょうか? ご存知の方がいらしたら、教えてください。 |
<大宮市教育委員会編集「大宮をあるくU(西部編)」を一部参考にさせていただきました> |
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