昭和50年(1975年)頃は、社宅はもうありました。私は当初は「いよや」に程近い1号棟に住んでいました。幼稚園の時に鴨川側の3号棟に越しました。
1号棟はちょっと古かったようです。4階建て、24世帯が住めるようになっていました。2・3号棟は5階建てでそれぞれ30世帯づつ住めます。台風が来ると、鴨川が近いので、3号棟は水害に遭いそうな感じでした。

ベランダからは富士山が見えたり、お祭りに時期には花火も見えました。もともと北海製罐は北海道にも会社があって、家族の誰かが北海道出身っていう人が多かったと思います。
社宅の周りには、「
いよや」「
やま食堂」「
鴨川」、やま食堂の側に「日進ショッピングセンター」という屋根が付いて、色々なお店が入っている所もありました。
名前は忘れてしまったけど、いよやの3軒となりくらいに
お豆腐やさん(宮河屋豆腐店)、関口商店(八百屋さんだったのか?)、松島さんっていう出前をしてくれるお蕎麦屋さんもありました。時計屋さん、自転車やさん、薬局も近くにありました。

土曜日には「魚屋さん」が魚を売りにきたりして、社宅以外の人も買いにきてました。
社宅の裏には「さいわい湯」っていう銭湯もあって、そこが友達の家だったので、一緒にお風呂に入ったり・・・。
自転車を使うと、丸広など、日進の駅前にも気軽に行けるし、北海道に住んでいる今でも「便利な場所だったなー・・・」って思っています。